地図で見る梅園の今昔

(後編)

梅園ができる過程を地理航空写真で見ていきましょう。写真1は梅園地区が写った最も古いものの一つで、戦後まもない1947年(昭和22)、GHQの占領当時に米軍により撮影されたものです。ハートが現在の梅園公園の位置を示します。明治期から比べると土地改良と農地利用が進み、畑がたくさん見られます。また、果樹園らしい区画も見られます。近隣の散歩で、同様の植樹パターンの栗園をよく見かけ、航空写真のテクスチャー比較から、その類ではないかと想像しています。土壌は常総台地全般に見られる関東ローム層とその下に広がる火山灰質の粘土層で、水はけが悪く、農地開拓には大変な苦労があったようです。現在の東大通り付近には、乙戸沼・乙戸川へと続く狭い水田地帯が見られます。住宅は354号に沿って大角豆の集落が見られますが、梅園には数戸しか見当たりません。写真をクリックすると、最近の衛星写真(2021年2月 GoogleEarth)と交互に見ることができ、あなたのお住まいの周辺の約3/4世紀の今昔を比べることができます。

写真1 1947年10月撮影(©国土地理院)および2021年2月撮影(©Google)
* 写真をクリックすると交互に切り替え

やがて日本は高度経済成長期を迎え、1961年、首都への人口の過度な集中を避けることを名目に、研究学園都市の整備の検討が閣議決定されます。写真2の上段はこの頃撮影されたものです。この時点では、建設地として筑波山麓のほか、富士山麓、赤城山麓、那須高原などが候補とされ、まだ決まっていません。鳥の目から見た梅園地区の景色は、終戦まもないころの写真と見比べても余り変わっておらず、ゆっくりと時が流れる静かな農村だったことが想像されます。しかし、1963年(昭和38)9月に建設地が筑波地区に決定され、1970年(昭和45)5月に筑波研究学園都市建設法が施行されると、すべてが一変します。

中段は1975年頃の写真で、学園都市造成の真っ最中です。東大通りは骨格を現わしていますが、産総研はまだ姿が見えません。町内の道路は造成中で、梅園公園は区画が整った段階のようです。そして1978年、赤塚と大角豆の一部を編入し、桜村に梅園一・二丁目が新設されます。梅園の名前の由来として、「桜村なので松竹梅(松見、竹園、梅園)というおめでたい名前を付けた」との都市伝説が語られることがあります。しかし、桜村ができる以前の昭和20年代前半に、松美、竹園、梅里の開拓集落が作られており、「大字大角豆字梅里」(産総研地質標本館付近)が梅園一丁目に編入されていることから、梅里が由来の一つなのでしょう。翌1979年には「梅園二丁目自治会」が6世帯からスタートしています。そして、1980年、国の研究機関の移転が完了し、先行的に移転していた筑波大学などに加え、多数の研究機関の職員・関係者と家族が筑波に合流します。そのほとんどは公務員住宅に入居します。その後、次第にマイホームを求めて各地区に移る世帯が増え、住宅街が作られていきます。

下段は1984年の写真で、梅園にも住宅街が形成され始めています。自治会名簿によると、この時の会員世帯数は187になっています。この頃はまだ麦畑が多く、春にはヒバリが空高く舞い上がっては囀る風景が見られました。そして、翌1985年の科学万博、1987年のつくば市の発足、民間企業の誘致、2005年のつくばエクスプレス開業が続き、梅園の人口も増え、現在に至ります。なお、2021年9月1日現在の梅園2丁目の世帯数は1462(自治会世帯数532)、人口3279人となっています。

学園都市形成期

写真2 空から見た梅園2丁目のビフォーアフター【上段:造成前、中段:造成中、下段:造成後】 (国土地理院の航空写真をもとに作成)

ところで、梅園の四季の移ろいを知らせてくれる街路樹や梅は、いつ頃誕生したのでしょう。研究学園都市の植樹は、1971年(昭和46)にスタートした「つくば緑化計画」に基づき、街全体が緑豊かな調和のとれた景観となるよう実施されてきました。東大通りでは、荒川沖の「東大通り入口」から「大角豆北」交差点(常陽銀行手前)までは、学園の入口案内役としてシラカシが選ばれ、以後、南大通りまでトウカエデが続きます。南大通りから北大通り間はケヤキ、大曽根の「西大通り入口」の交差点までは再びトウカエデ、以北はエンジュの順になっています。ちなみに、東大通りは、筑波山に通ずる街路樹の景観から「日本の道100選」(建設省)や、「新・日本街路樹100景」(読売新聞)に選ばれています。地元紙によると、このトウカエデは1977年(昭和52)に植樹されたようです。さて、町内の街路樹は図1に示すように、トウカエデ、コブシ、シナサワグルミの三種類が植えられています。トウカエデは、東大通り沿いのそれを引き継ぐように、町内を西に向かって並木を形作っています。コブシは梅園地区と東地区の境界、および、東ブロックと西ブロックの境界に、南北に植えられています。シナサワグルミは、やまゆり公園とひまわり公園を結ぶ通りに植えられ、その南の終点に、梅園だより(2020/12月号)に紹介のあったラスボスの大樹がデンと控えています。

街路樹

図1 梅園2丁目の街路樹マップ(グーグルマップ2021年データに記入)

写真3は1980年5月に撮影した航空写真の梅園公園部分を拡大したものです。公園ができて間もない頃で、まだ集会所はありません。公園の北の通りにはトウカエデの若木、西の通りにはまだ細く幼いコブシが点列となって見てとれます。また、公園内には梅の若木が点在しているのがわかります。この梅たちは、今では大きく成長し、春に見事な梅園を演出してくれます。これらの樹木たちが梅園の成立とほぼ同じ時期に植樹され、町と共に歩んできたことに想いを巡らすと、親しみが一層増してきます。

梅園公園_1980

写真3 誕生まもない梅園公園の航空写真(©国土地理院, 1980年5月)

 (作: Umezono Sampo)

前編   自治会ホーム